この本を手にしたのはいつだったでしょうか。
そして、この本に登場する日系二世たちの
ヨーロッパ戦線における勇猛果敢な戦いを知りました。
戦後50周年を記念して制作されたドキュメンタリーの一つに
彼らの闘いの記録がありました。
記録映像も制作されました。
第442部隊は主にハワイ出身者ですが、
アメリカ本土の収容所からも多くの若者が、米軍に志願してきました。
アメリカへの忠誠を果たすために。残していく親への「親孝行と誇り」のために。
アメリカから見れば敵国の若者たち。
父親・母親の一世が築いた地位も財産も市民権も奪われて、
その困難の中で、2世の若者は家族の名誉を回復するために
自ら志願して、アメリカ兵となったのでした。
行先はヨーロッパ戦線。勇猛さで知られた彼らがいくところは、常に激戦地でした。
死傷率は300%を超えます。
300%ってありえないでしょ?と思うかもしれません。
たとえば、部隊に10人の兵士がいたとします。
戦闘で全員が死ぬか負傷して戦線から離れれば、死傷率は100%です。
補うために、新しい兵士が補充され、またその兵士たちが全員戦闘で死ねば、死傷率200%。
このようにして、最終的には300%の若者が、第442部隊で死んだのです。
彼らの士気は高く、なおかつ礼儀正しかった。
フランスでドイツ軍と戦闘中、日本人を見たフランス市民は
「ドイツ兵より怖い」と、門を閉ざしたそうです。
しかし、激戦の中負傷した兵士を家に連れ帰り看護にあたった夫人は
自分たちと何も変わらない若者の姿に驚き、
助かる見込みのない傷の手当てをしながら、「オカーサン」と言いながら亡くなった
兵士に、「私がフランスのお母さんになるから。」と言って、涙を流されたそうです。
別の市民も「442部隊」の兵士は、どこの国の兵士より礼儀正しく紳士だった。」と
回想していました。
また、どこのユダヤ人収容所か忘れてしまいましたが、
ドイツ兵が降伏した後、ユダヤ人の開放を最初に行ったのも日本人部隊でした。
ユダヤ人たちも、「ドイツ兵より恐い日本人が来る。」とおそれおののいたそうですが、
その礼儀正しい振る舞いの日本人兵士に、驚きを隠せなかったそうです。
彼らが受けた勲章は、アメリカ軍全体のなかでも、飛び抜けて多い物がありました。
その代わり、多くの同胞を失ったのです。
アメリカ軍関係者も、日系部隊の兵士を称えて、
「かれらこそサムライだった。」と称賛しております。
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それでも、私は憤っています。
橋本さん、石原さん、このような日本の若者が
差別と敵視の中で戦ったことを知っていますか?
彼らには慰安所なんかなかったのですよ!
恥をしれ!!と私は声を大にしていいたい。
そして、あなたたちと同じ日本人であることが恥ずかしい。
hibari