ここは、ロワール地方のシュノンソー城。
ブルボン朝の前、ヴァロア朝時代の
6人の女性たちが城主だったという城です。
なかでも、アンリ2世の生涯の愛妾だった、ディアーヌ・ドゥ・ポワチエと
子供は10人も産んでおきながら、
夫との愛には恵まれなかったカトリーヌ・ドゥ・メデイシスとの
夫亡き後の確執の場ともなった城であります。
カトリーヌ・ドウ・メディシスから、
「王が亡くなった以上、貴女はこの城から出て行ってほしい。
さらに王からプレゼントされた品々も返してほしい。」
と言われたディアーヌは
「分かりました。王の秘密と共にこの城はお返ししましょう。」と答えたそうです。
意味深ですねぇ。
ディアーヌは貴族の出ですが、もともとはアンリ2世の家庭教師。
美しく才能豊かなディアーヌは、
20歳の歳の差を越えてアンリ2世の愛を生涯の物とした女性です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
こちらは喪の部屋。
カトリーヌの息子であるアンリ3世の妃が喪に服した部屋です。
アンリ3世が宗教上の対立から暗殺された時、ルイーズ妃は36歳でした。
あまりの衝撃の大きさから、ルイーズ妃は部屋にこもり、
なおかつ部屋の壁や天井を墨色に塗り替えて、祈りの台の前の窓を残し、
あとは全部壁にして生涯喪に服したと言われる女性です。
亡くなるまでの11年間、喪の色である白いドレスを纏って、
城の中を彷徨い歩いたと言われています。
天井に残る羽の紋は、向かい合う二枚の羽が喪の印とされたことから、
生涯を喪に服すと決めたルイーズ妃の心模様とされています。
なお、その外側を点々ととりまくのは、妃の涙だと言われております。
二人の間に子供がいなかったことから、ここでヴアロア朝は断絶して、
ブルボン朝へと時代は移っていきます。
明日はこの城を飾る美しい生花を御紹介します。
hibari
2016.8.20
ブルボン朝の前、ヴァロア朝時代の
6人の女性たちが城主だったという城です。
なかでも、アンリ2世の生涯の愛妾だった、ディアーヌ・ドゥ・ポワチエと
子供は10人も産んでおきながら、
夫との愛には恵まれなかったカトリーヌ・ドゥ・メデイシスとの
夫亡き後の確執の場ともなった城であります。
カトリーヌ・ドウ・メディシスから、
「王が亡くなった以上、貴女はこの城から出て行ってほしい。
さらに王からプレゼントされた品々も返してほしい。」
と言われたディアーヌは
「分かりました。王の秘密と共にこの城はお返ししましょう。」と答えたそうです。
意味深ですねぇ。
ディアーヌは貴族の出ですが、もともとはアンリ2世の家庭教師。
美しく才能豊かなディアーヌは、
20歳の歳の差を越えてアンリ2世の愛を生涯の物とした女性です。
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こちらは喪の部屋。
カトリーヌの息子であるアンリ3世の妃が喪に服した部屋です。
アンリ3世が宗教上の対立から暗殺された時、ルイーズ妃は36歳でした。
あまりの衝撃の大きさから、ルイーズ妃は部屋にこもり、
なおかつ部屋の壁や天井を墨色に塗り替えて、祈りの台の前の窓を残し、
あとは全部壁にして生涯喪に服したと言われる女性です。
亡くなるまでの11年間、喪の色である白いドレスを纏って、
城の中を彷徨い歩いたと言われています。
天井に残る羽の紋は、向かい合う二枚の羽が喪の印とされたことから、
生涯を喪に服すと決めたルイーズ妃の心模様とされています。
なお、その外側を点々ととりまくのは、妃の涙だと言われております。
二人の間に子供がいなかったことから、ここでヴアロア朝は断絶して、
ブルボン朝へと時代は移っていきます。
明日はこの城を飾る美しい生花を御紹介します。
hibari
2016.8.20
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四級建築士
at 2016-08-21 09:16
x
ウチから西へ100mほど行くと・・
「ロワール旭」って言うアパートがあります。
単に前に「どぶ川」が流れているだけで、です。
何ちゃらパレス、レジデンスって、実は普通のマンション?
どないなってるの?
「ロワール旭」って言うアパートがあります。
単に前に「どぶ川」が流れているだけで、です。
何ちゃらパレス、レジデンスって、実は普通のマンション?
どないなってるの?
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unjaku at 2016-08-21 12:08
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Dr.K
at 2016-08-22 16:06
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unjaku at 2016-08-22 19:53
ドクターさんもいらっしゃいましたか!
ドクターさんの言われる通り、始めディアーヌは、王から贈られた城に流れる河に、美しい橋を建設したということです。
その後、ディアーヌを追い出したカトリーヌ・ドゥ・メディシスが、ディアーヌの痕跡を消すために橋の上に城を築き、摂政として国を支配したと言う話を聞きました。
ドクターさんの言われる通り、始めディアーヌは、王から贈られた城に流れる河に、美しい橋を建設したということです。
その後、ディアーヌを追い出したカトリーヌ・ドゥ・メディシスが、ディアーヌの痕跡を消すために橋の上に城を築き、摂政として国を支配したと言う話を聞きました。