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カメラ・ダイアリーです。COCOROの向くままカメラの向くまま・・・。


by hibari0929
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カテゴリ:映画と女優( 19 )



昨日は都内まで映画を観に行きました。
足の骨折以来の大冒険(笑)。
小田急線で新宿まで、片道約1時間の冒険。
自信がなかったけれど、
どうしても観たい映画なので、
夫に最寄り駅まで送ってもらって出かけました。

「草原に黄色い花を見つける」
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日本ではもう見られなくなった懐かしい農村の風景。
ベトナム戦争の影を引きずりながら懸命に生きる人々。
そこで暮らす兄弟の日常と、兄のティエウの初恋。
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聡明な弟が兄に、詩の部分を語るシーンがある。
二人一緒に寝る夜の蚊帳の中。
「神様が病気だと空が泣く。君を思う切なさは恋わずらい。」

兄は近くに住む少女ムーンに恋をしている。
ある事情で少女ムーンがティエウの家に
しばらく身を寄せる。
弟・トゥオンとムーンが、毎日無邪気に遊ぶ姿を見て
ティエウは心が落ち着かない。というより嫉妬している。
二人を見つめるティエウの眼がいい。
少年のやりばのない苛立ちと悲しみと恋心が凝縮している。
その心を象徴するように、遠い雷鳴がティエウにはいつも聞こえている。
何かが起こるという不安。

やがて事件がおこる。
取り返しのつかない事件。
でも、トゥオンの身に起こった不幸な事件が
やがて、黄色い花と共に奇跡を生む。

どんな試練も乗り越えていくことができる。
暑い陽射しが照り付ける、貧しい農村の風景の中でくり広げられる
少年と少女の二度と帰らぬ大人になる前の束の間の時間。
傷ましさと同時に、憧れや未来への希望が美しい映像の中に
描き出されて、人間の心の柔らかな豊かさに触れた至福の時間でした。

笑えるのは、ドラえもんに出てくるジャイアンみたいなガキ大将がいて
ティエウはいつもやられっぱなし。挙句は「ムーンをよこせ。」と迫る。
その兄に、弟トゥオンが「弱くても頭を使えばいいんだ」と一計を授け
見事やっつける場面。弱くても知恵。兄弟の絆の深さがわかるシーンです。

劇場は、新宿武蔵野館です。

hibari
2017.9.1





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by unjaku | 2017-09-01 14:25 | 映画と女優 | Comments(6)

「風と共に去りぬ」は、アメリカで起きた最大の内戦、「The civil war」で
奴隷を基に膨大な富を得ている南部社会の崩壊を描いている。いわば、敗者側から見た南北戦争である。

スカーレットは、貴族社会の決まり事や不文律の慣習など蹴散らすように
持ち前の気性の激しさ、時には非情、時には危機を乗り切る知恵・才覚・行動力、それらは危機に強いアイルランド・スピリッツなのか、あるいはエゴイストの本性なのか、スカーレットは持ち合わせているすべての力で南北戦争の混乱を生き抜いて行く。


いっときスカーレットは、アトランタで暮らしている。そこでまたレットバトラーと再会するわけだが、・・・南部同盟の敗北が近づく中、アトランタが陥落する直前の混乱時にメラニーの出産が始まる。街が騒然とする中を、アトランタの駅で負傷者の手当てに当たっている医師をスカーレットが探しにいく場面がある。

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見渡す限りの負傷者・死者が大地のうえに横たわっている。カメラが引くと、駅舎に掲げられた南部同盟の旗が、ぼろぼろになってはためいているのが映し出される。その向うに数え切れない犠牲者が横たわっている。
南部の豊かな農園社会の歴史が終わる時だ。
その中をスカーレットがスカートの裾を翻し、犠牲者の上を乗り越えていく。足を引っ張る人。スカートの裾にすがる人。助けを懇願する人。スカーレットは引き剥がすようにして歩く。
南部社会の女性が絶対寄り付かない場所。逞しいスカーレットは、男の影には絶対に隠れない女である。目的を貫くためには、どんな手段も使う。スカーレットは建前など全く気にかけないタイプの人間なのである。

そんな彼女が、母親エレンの「聡明さ」と「誰にでも優しい勇気と強さ」を何よりも尊敬し、かつそうなりたいという願望を持ち続けている。スカーレットの願ってかなわぬ「人格」。
その「スカーレット・オハラ」に対極する存在として、母とよく似た「メラニー・ハミルトン」がいる。なおかつ、メラニーは愛してやまない「アシュレ・ウイルクス」の妻なのだ。
故にスカーレットはメラニーに対してことごとく嫉妬する。しかし、メラニーは、スカーレットの「強さと勇気」を誰よりも愛している。二人はコインの裏表のような存在で、なおかつ義理の姉と妹という関係である。(婚姻関係がもたらした関係)。

やがて命からがら戻った故郷タラでスカーレットが見たものは、廃墟であった。
母は死に妹たちは病に侵され、頼みの父はショックで精神に異常をきたしている。

たどり着いた実家で、敗戦がもたらした混迷と飢えと家族を守るための戦いが、スカーレットに重くのしかかる。
家と土地には重税がかけられ、さすがのスカーレットも途方に暮れる。
そんな時に思い出したのが、アトランタにいるというレットバトラーだ。
レットから金を引き出す一計を考え、再びアトランタへ行く決心をした時に
スカーレットが見つけたのは、母・エレンが残した緑色のベルベットのカーテンだった。
「奥様のカーテンだ!」と反対する召使に
「これはもう私の物なのよ!」とカーテンを引きずり下ろすスカーレット。

かくして、スカーレットはレットのいるアトランタを目指す。が・・・・
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レットには、あえなく金欲しさの本心を見破られ・・・・スカーレットは
偶然出会った、アトランタで成功を収めた妹、ス・エレンの婚約者を誘惑して結婚する。
タラに課せられた税金を何とか工面するものの、妹からは憎まれて、
苦労の果てに、スカーレットは、金・かね・金の亡者になっていく。


エゴ丸出しの貴族社会の異端女性は、それでもアシュレへの思いを断ち切れずにいる。
いじらしいといえばいじらしいスカーレットの心である。


まあそんなわけでスカーレットにとって、
緑のドレスは特別な意味を持っていると思うのですが、
緑の国アイルランドはどんな国なのか?

長い間イギリスの植民地同然の扱いを受け、仕事と言えば放牧・やせた土地での農業・
わずかばかりの漁業といった具合で、長い間国民は虐げられた生活を
送らねばなりませんでした。
18世紀も近くなると、アメリカへ移民する人々が多くなり、
アメリカでは同郷のコミューンが作られ、彼らは結束して綿花作りで
富を得るようになった、といういきさつがあります。
しかし、アメリカでも一級市民として扱われるようになるのは
かなり後のことで、そういった歴史も北部との対立を深めていった
原因の一つではないかと思われます。


スカーレットのような女性が身近にいたら、好きになれますか?
しかしながら、男たちの起こした戦争の後始末をして、家族を支え、
負けることなく新しい時代を作っていったのは女性達でもあったのかと思うと
この女性像には強く惹かれるものがあるのも確かです。
「風と共に去りぬ」この不朽の名作を、どう読むか・どう見るか、
話し出すときりがありませんので、お粗末ですがこの辺で。
ありがとうございました。


hibari
2017.8.23
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by unjaku | 2017-08-23 11:38 | 映画と女優 | Comments(6)

今日は、大好きな映画「風と共に去りぬ」から、
スカーレット・オハラと緑色に関して、hibari流の勝手な考察です。
スカーレット・オハラが緑色の服を着て登場するシーンは3回ほどあります。
前半に1回。後半には2回。
そのうちの2回は特に重要な意味を、持っているように思われます。
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これは、映画のスチール写真です。

この衣装を着て、当時のアメリカ映画界を代表する大女優が、
いったいどれほどカメラテストをうけて、さらに製作者の眼鏡にかなわなかったのか?
正確な数はわかりませんが、本命のスカーレット役が決まらないまま撮影はスタートしたのです。

アトランタ炎上シーンです。
あの時のスカーレットはスタントでした。
その撮影シーンをたまたま見に来ていた群衆の中にいたのが、
英国からローレンス・オリビエを追ってきたヴィヴィアン・リーでした。
ヴィヴィアン・リーを見つけたセルズニックは
「ここにスカーレット・オハラがいる!」と叫んだというエピソードは有名ですが、
その翌日のカメラテストを経て、ヴィヴィアン・リーはスカーレット役を射止めたのです。


前置きが長くなりました。

スカーレットの父親はアイルランド系の人物で、アイルランド気質そのままの男性でした。
南部で広大な綿花畑を所有する大農園主でもあり、当時南部は貴族文化の繁栄時代でした。
スカーレットは父親譲りの、頑固で気が短く一途で激しい気性の持ち主でもありました。

アイルランドの国の色は緑です。ポストまでも緑色というお国柄。
このことを思い出すと、スカーレット・オハラのアイデンティティは
アイルランド気質であり、彼女がいざというときに選ぶドレスの緑は
彼女の勝負服なのです。




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ウイルクス家の園遊会に招待されたスカーレット・オハラです。
緑を基調としたドレスの美しくチャーミングなこと。
しかし、肩を出したこのドレスが、スカーレットが南部の貴族社会から
はみ出していることを象徴的に表してもいるのです。


この時、スカーレットは幼い時から思いを寄せていたアシュレ・ウイルクスに
愛を告白して婚約してもらうつもりでした。
しかし、
想いを告白したものの、アシュレの心は従妹のメラニーにあることを知り
スカーレットは失恋に追い込まれます。
アシュレの頬を激しく平手打ちし、
そばにあった置物の花瓶を壁に放り投げたとき
同じ部屋で一部始終を聞いていたのがレット・バトラーでした。
この時から、二人のすれ違う心のドラマが始まるわけですが、
一方で、この園遊会にもたらされた知らせが、南北戦争勃発のニュースでした。
そして、この戦争と共に南部の貴族社会は一気に崩壊していくのです。

続きは明日にしましょう。


hibari
2017.8.22
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by unjaku | 2017-08-22 14:50 | 映画と女優 | Comments(4)

フランスの大女優、ジャンヌ・モローが亡くなりました。
淋しくなりました。
見た映画はさほど多くはありません。
「恋人たち」「死刑台のエレベーター」「黒衣の花嫁」
そして「突然炎のごとく」。

「死刑台のエレベーター」のジャンヌは上品できれいでした。
悪女・男を破滅させるファムファタルを見事に演じていました。

でもやはり「突然炎のごとく」のジャンヌがいいな!
つかみどころがなく、いつ何をするかわからない美しい女・カトリーヌ。
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恋人にするには、楽しくて愉快で申し分ないかもしれないが
家庭には大人しく収まらない女。一人の男だけでは我慢できない女。
そんなカトリーヌに夢中になった男二人、ジュールとジムとのあいだに
奇妙な三角関係が生じる。
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誰だったか。
「二人の間の恋愛関係は平凡だが、三人の間の恋愛は哲学的である。」
といった人がいる。そのとおり、この三人の関係は誠に難解なのです。
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ジュールはカトリーヌをジム以外の誰にもとられたくない。
それはジムも同じである。
カトリーヌはどちらの男も失いたくない。

ある時三人は山荘で楽しい時間を過ごす。
その時に、カトリーヌが「つむじ風」というシャンソンを披露する。
とても意味深な歌詞なのだが、その1節を。

彼女はオパールのような目をしていた
それは僕を虜にした
卵形の顔をしていた
男を破滅させる女の顔、僕はあがらえなかった
男を破滅させる女の顔、僕はあがらえなかった


やがて第一次大戦がはじまり、ジュールとジムは出征する。
その間に、カトリーヌはほかの男と関係を持ったりする。
彼女に深い考えはない。
やがて先に帰ってきたジュールと出会い二人は結婚するが、
ジムが戦地から戻れば、また3人の関係は復活する。
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2階の部屋でジムとカトリーヌが戯れているのを、下の部屋でジュールは黙って聞いている。

こんな関係は最後はどうなるのだろう。
やがてジムが出ていく。そしてほかの女性と結婚する。

これでなんとか収まると思いきや、たまたま出会った二つのカップル。
ジムが乗っていた車をカトリーヌが運転したいと言い出し、楽しそうにジムを乗せたまま海へと向かいそのまま海へ転落する。

残されたジュールは二人の葬儀をだしてやり、
それほど一緒にいたかったのだからと、一緒に葬ってやるのである。
去っていくジュールの後ろ姿は淡々として見える。
これでもう二人を失うことは永遠に無くなったとでも考えているように。

ジャンヌ・モローはファム・ファタルが似合う女優だった。


下のポスターは、黒衣の花嫁。
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この話にヒントを得て、山本周五郎は「五辯の椿」を書いたという。
テレビで初めてドラマ化されたとき、若くて儚げな藤(富司)純子が主演したのを覚えている。

2017.8.2
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by unjaku | 2017-08-02 22:36 | 映画と女優 | Comments(2)

名残の日々


風に揺れる
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紫陽花の名残りの日々
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やがて夏の陽に灼かれる時が来る
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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
話は変わって、イギリス映画だったかな?
「日の名残り」という映画がありました。
原作 カズオ・イシグロ
主演 アンソニー・ホプキンス
   エマ・トンプソン

エマ・トンプソン、結構好きな女優さんなのです。
絶世の美人ではないし、どこか野暮ったさもありながら
他の俳優たちを見事に引き立ててしまう不思議な魅力を持つ女優さんです。

「ハワーズ・エンド」「ある晴れた日に」ではアカデミー賞に輝きました。
抑えた演技の中に上品さを漂わせて、ある意味憧れるイメージを持った人です。



hibari
2017.7.13
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by unjaku | 2017-07-13 14:43 | 映画と女優 | Comments(2)

奇跡の人


今日は、まだだるい体を抱えて
家族で「奇跡の人」を見に行った。

スクリーンで見るのは2度目。
行ってよかった。来週もう一度、頑張って観に行こうかと思っている。


この映画を観ないで、人生を終わるのはもったいないでしょうね。
ヘレンケラーと言えば、幼い時の高熱が原因で「見えない・聞こえない・話せない」
という3つの障害を持ちながらも、サリバン先生の指導の下「言葉」を獲得し、その才能を花開かせた人女性ということで知られてはいる。

しかし、その過程がどれほどの懊悩と二つの人間の魂が激しくぶつかりあいながら、その場に至ったかというのは、想像をたくましくするしかない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

しつけが全くなされていないヘレンは、気に入らないと相手に質の悪い意地悪をする。

サリバンを刺繍用の針で、わざと刺したヘレンをなだめるのに、
母親は甘いお菓子を口に入れることで癒す。
サリバンは言う「私を針で刺したのにご褒美ですか?犬だってしつけを受けます。」

サリバンは目の疾患で、いつもサングラスをかけている。
彼女の強い意志を湛えた目は、傷ましいほどの弱さなのだ。




アンバンクロフトの身体を張った演技に、15歳のパティ・デユークが挑む。
撮影現場は息をのむ緊張感に満ちたことでしょうね。
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こんなに激しいバトルはそうそうみられるものではありません。

ヘレンの成長にわが身を捧げたアン・サリバン。
師匠あっての弟子、古い言い方ではありますが
自分自身にもわからない才能と可能性を開かせてくれるのは
偉大な師匠(教師)だということがよくわかる映画です。

まだ見ていない方は、ぜひぜひ「午前10時の映画祭」でご覧になってください。



hibari
2017.2.18
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by unjaku | 2017-02-18 19:23 | 映画と女優 | Comments(0)

1960年代の後半、アメリカのホーム・ドラマで「パティ・デュークショー」という番組があり、 パティ・デュークが双子約を演じて人気があった。元気なアメリカのハイティーンの役を、生き生きと演じていたのが懐かしい。その後「ビリー」「ナタリーの朝」に出演したが、彼女を「時の人」にしたのは、それより以前「奇跡の人」で、ヘレン・ケラーの少女時代を演じた時だった。
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1962年・第35回のアカデミー賞は実に実り多いものだったが、アカデミー助演女優賞は15歳の少女に贈られた。パティ・デュークその人である。受賞作は「奇跡の人」。私のNo.1映画である。モノクロ映画。
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ヘレン・ケラー女史の子供時代、サリバン先生によって言葉を獲得するまでを描いた映画。
ヘレンは言葉を持たない。音も聞こえない。物も見えない。コミニュケーションの手段をまったく知らないまま成長した、小さな野獣である。
途方に暮れた両親が、家庭教師として迎えたのがサリバン先生だった。すでに、何人もの家庭教師がヘレンから逃げ出している。


夕食時、食事の躾を教えようとして始まるサリバンとヘレンのすさまじい格闘劇は見るものを圧倒する。殴り・蹴飛ばし・噛み付き・投げる・引き倒す・料理は散乱する・・バイオレンス映画顔負けの迫力である。


この映画は、言葉の獲得が人間そのものの開花に、いかに重要なのかを教えてくれる。特に有名なのは、「水」という言葉を理解する場面だが、私には映画の冒頭すぐに登場する、ヘレンが干してあるシーツに弄ばれるシーンが印象深い。


この映画ではパティの眼の演技に注目である。必死で何かを求めながら空(くう)をさまよう眼の演技。パティ・デュークは女優人生の総てをこの一作に注ぎ込んでしまった感がある。監督・・アーサー・ペン

実際ヘレンは大変な美少女・美人だった。
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1962年のアカデミー賞
作品賞・・アラビアのロレンス
監督賞・・デビッド・リーン(アラビアのロレンス)
主演女優賞・・アン・バンクロフト(奇跡の人)
助演女優賞・・パティ・デューク(奇跡の人)
主演男優賞・・グレゴリー・ペック(アラバマ物語)
助演男優賞・・エド・ベグリー(渇いた太陽)
外国作品賞・・シベールの日曜日
どういうわけか、モノクロ作品が多い



「奇跡の人」が、2月に入ると、TOHOシネマズの「午前10時の映画祭」に登場する。
奇跡の人というとき、ヘレン・ケラーを思いがちだけれど、私は「アン・サリバン」だと思っている。映画を観てもう一度、確認してこなくちゃいけないのであります。

テレビでは何回か見ているけれど、スクリーンで見るのは何と2回目。中学生の時以来です。


hibari
2017.1.18
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by unjaku | 2017-01-18 20:20 | 映画と女優 | Comments(0)

ふたりのケイト


先週は、珍しく映画を2本見た。

いま、もっとも輝いている女優ふたり。
ケイト・ウインスレットとケイト・ブランシェット。

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タイプは違うけど、ふたりともゴージャスな女優であることは間違いない。


ケイト・ブランシェット。
変幻自在なひとである。どんな役でも自分の物にしてしまう。

今回は「キャロル」で主人公のキャロルを演じた。
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(画像が荒くてごめんなさい。)
離婚を前提にした別居中の
ハイソサエティの美しい女性が、
夫に愛する娘を連れ去られ、
悩みと孤独の不安におびえながら、
えもいわれぬ存在感で、スクリーンの中で匂い立つ。

彼女が愛するもう一人のヒロイン、テレーズをルーニー・マーラーが演じた。
テレーズには恋人がいるけれど
結婚には踏み切れない。

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まっすぐに前を見つめるテレーズの横顔が端整だ。

キャロルはテレーズを
「私の天使。天から落ちて来た人。」と呼ぶ。

ラストシーンで、自分を探してやってきたテレーズを見つめて
なんとも表現しがたい微笑を浮かべる。

「やっぱり来たわね。貴女が来ることはわかっていた。
私の天使、天から落ちて来た人。これから新しい人生が始まるのね。」

そんな意味を含んだ微笑だったのだろうか。

ブランシェットが28歳の時に演じた「エリザベス」は、本当に美しかった。
ほっそりと鞭のようにしなやかな体で、エリザベス1世を鮮烈に演じ、
一躍スクリーンのミューズになった。





ケイト・ウインスレット

「スティーブ・ジョブ」に出演していると聞いて、今度はどんな役を演じるのか?
と興味を抱いて観に行ったけれど、ジョアンナ役はケイトにとっては失敗だったと思う。
美しくなかったもの。

長いセリフが飛び交うシーンばかり続いて、正直疲れた。
それに、スティーブはエゴイストで傲慢で、周りの人間を振りまわす。
コンピューターばかりいじっていると、人間に興味を失って、自分の子供さえ
認めようとしないのかと、少々不快でさえあった。
ま・それが狙いなら映画自体は成功なのでしょうが。

途中で帰ってきてしまった。

あまり話題にならなかったけれど、「ヴェルサイユの宮廷庭師」。
去年の秋公開された。

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ヴェルサイユ宮殿の庭の一角・「舞踏の間」の建設を任された庭師マダム・サビーヌを演じた。
当時田舎であったベルサイユで、
土にまみれ男たちに交じって仕事をする「女性庭師」のマダム・サビーヌ。
口紅さえつけているのかどうかわからないウインスレット。
巻き毛も乱れて、衣服は汚れ、それでも絶対という存在感があった。

「愛を読む人」のケイトは哀しく美しくスクリーンを凌駕した。

二人のケイト。
これからどんな映画で、私たちを魅了してくれるのだろうか?



hibai
2016.3.1
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by unjaku | 2016-03-01 17:11 | 映画と女優 | Comments(0)

この映画の主役は、アイルランドの自然だね。

美しい砂浜・海・厳しい崖・そして風と空。

荒れ狂う波の恐ろしさ・美しさ。
人間の業など、全て引きずり込んで、それでも足りないような凄まじさ。
愛欲に目覚めて翻弄されるロージーの心のありようにも見えるし、
英国との長い憎しみを伴う戦争のようでもあり、
嫉妬と憎悪が渦巻く人間の心のようでもあり、
まことにあらがうことのできない大きな力。

そして、初めての逢瀬でロージーとランドルフが結ばれる時の森の優しさ。
木々はざわめき、二本の蜘蛛の糸は寄り添い離れまた寄り添う。
まあるい綿毛は、風に運ばれ・弄ばれながら飛んでゆく。
馬は静かに水を呑みながら、くつろいでいる。

服を優しく脱がされてゆく時のロージーの胸の鼓動は
夫を裏切ることへの恐れと、もう前の自分には戻れないところへ来てしまったという後悔と
身体の奥から押し寄せる、めまいを起こしそうな官能に激しく波打っている。

ランドルフは戦争の悲惨の体現者だ。
体と精神に大きな傷を抱え、優しく温かい女の体を抱くことで
やっと自分を保っている。
女の身体は、ランドルフにとって帰るべき大地。

彼は戦地で、砲撃の凄まじさの中で怯えうずくまる。
この時すでに彼の精神は病んでいたかもしれない。
負傷して、アイルランドの僻地へ送られたことで、
貴族の世界から締め出され、妻にも冷たくあしらわれたかもしれない。

彼が射撃の名手だったことは、映画の中で証明される。


そしてチャールズを演じたロバート・ミッチャム。
タフな役どころが多い中で、今回は大人の深い愛を静かに演じた。
最後の場面、神父から
「ロージーと別れるつもりか?」と問われ、それまでの無表情な顔が、
仮面を剥がしたように変わる。一瞬だが、チャールズの深い懊悩と苦しみが顔を出す。

しかし、彼が犯罪者の役を演じた「恐怖の岬」や「狩人の夜」では
全く違う顔を見せてくれる。
相手がどこまで逃げても、粘着気質丸出しで不気味に追い詰めていく。
見てるこちらが息苦しくなるほどだ。

神父を演じたトレバー・ハワードは、「逢いびき」に出演していたし、
「第三の男」にも出ていた。
彼の役どころは、人間の倫理の規範を演ずることだったのではないだろうか?
弱い立場の人間を守り、時には人生を踏み外すことが無い様に忠告し
最後まで見守る。

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マイケルと神父のコリアン、
そして、村を去ってゆくチャールズに、親に叱られながらそっと花束を
置いて去る少女キャシーに救われた映画だったように思う。
キャシーは昔のロージーだったかもしれない。


おそまつでした。終わりです。


hibari
2013.7.2
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by unjaku | 2015-07-02 12:31 | 映画と女優 | Comments(2)

ライアンの娘


ライアンの娘は始まりから、非常に印象的だ。
美しい日傘が、断崖の上から風に飛ばされて海に落ちてゆく。
その傘を拾ってくれたのが、
貧しい漁師で話すこともできないマイケルと島の神父のコリアンだった。
このシーンは、後に不幸の坂を転がり落ちてゆくライアンの娘のロージーを
助けることになるのが、この二人だと言うことを暗示しているようだ。

貧しい寒村で、職もなくうらぶれた若者たちが
昼間から街でたむろしている不安なシーンが何度か登場する。
彼らは、障害を持つマイケルをいたぶっては、鬱憤を晴らしている。

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そんな暮らしに愛想を尽かしているロージーは、学校の教師をしている
中年をすでに過ぎたチャールズを慕っている。
ある日、ダブリンから戻ったチャールズを待ち伏せしていたかのように、彼に求愛し
その熱情に打たれてチャールズは、ロージーを受け入れ結婚する。

しかし、夜の営みに淡白な夫に物足りなさを感じて欲求不満状態にあるロージーは
やがて島の駐屯地に赴任してきた若い士官と恋に落ちる。

馬に乗って遠乗りをした二人は、深い森の中で激しく求めあう。
イギリスの士官ランドルフもまた第一次世界大戦で、
身体にも精神的にも深い傷を負っている。

そののち、二人の噂は人々の間に広がり、ロージーは村の人々から
村八分のような扱いを受ける。
マイケルをいじめていた人々のうっぷんがロージーに向けられ
チャールズは妻の不義に苦しめられる。

やがて、独立派の人々と、イギリス軍の衝突が起こる。
独立派のリーダーが銃で撃たれ、人々の怒りはロージーに向けられる。
密告者としての疑いである。
密告したのはロージーの父・ライアンだったが
リンチにかけられる娘を残し、その場から逃げ去る。

チャールズは妻をかばおうとして、激しい暴行を受ける。
ロージーはたけり狂った群衆に、衣服をはぎ取られ辱められた挙句
髪をズタズタに切られる。
その群衆を押しとどめ、かろうじて二人を守ったのが神父コリアンだった。

やがて二人は町を毅然として出てゆく。
さげすみ罵る村人。
バス停まで二人の荷物を運んでくれたのは、神父とマイケルだった。
マイケルは、顔をくしゃくしゃにして別れを悲しむ。
そんな彼に、ロージーは優しくキスをするのだった。
あれほど毛嫌いしてたのに。

二人はこれからどうなるのだろう・・・・・?
感じ方は観た人それぞれ違うだろう。

政治や宗教・戦争の残酷さ・激しい恋と静かで深い愛・そして憎悪や孤独や絶望の果ての死。
様々なことを考えさせられた映画だった。
10代の小娘が見るのには早すぎたのだった。

ちなみに、障害をもち醜い男マイケルを演じたジョン・ミルズはアカデミー賞の助演男優賞を
受賞した。監督はデヴィッド・リーン。
あしたも、もちっと続きを・・・。


hibari
2015.7.1
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by unjaku | 2015-07-01 21:19 | 映画と女優 | Comments(0)