12月朝。
お天気が良ければ、高台から大山(おおやま)が奇麗に見えます。
左へ行くと箱根。右へ行けば丹沢が連なります。故郷の山になります。
初冬の夕暮れ時もまた美しい。
こんな空と山を眺めながら、生まれた時からずっと、同じ土地に暮らしました。
今、私の母は97歳。
母も同じような風景を見ながら暮らし、ただ母が暮らした当時は農村風景でした。
田んぼに畑に桑畑。
青春時代を戦争のさなかに生きて、
終戦を迎えた後は、貧困と食糧不足。
都会から食料を求めてやってくる人たちとの物々交換の暮らし。
母は、少しでも家計を助けるために
およそ8キロほど離れた米軍・厚木基地の将校家庭のハウスキーパー・メイドとして
通い続けました。もちろん徒歩。
家事が得意だった母は、通った家庭のハウスキーピングを完璧にこなして、
雇い主の夫人から感謝されました。
そのしるしとして、缶詰や食料をお土産として持ち帰り、
家族に感謝されたそうです。
今では、その時代に覚えたベッドメーキングで、
介護用のベッドを奇麗に完璧に整えています。
足腰弱った体で、時間がかかっても全て自分でこなすそうです。
いつ行ってもシーツに皺ひとつありません。
ただ最近は癇癪を起こすことも珍しくなく、義妹とやりあっています。
出来ないことが増えたのです。
義妹も根気よく寄り添っていますが、たびたび起こるヒステリーは、
彼女の神経を傷めずにはおきません。
そろそろ介護度も2から3に上がるような気配です。
施設入りのことも考えなくてはなりません。
「私のうちは此処だから、絶対に他にはいかない!!」と
母は言い張っていますが、それも時間の問題でしょう。
義妹は、施設入りが決まったら、しばらく家を離れると言います。
「家に帰る!」と母が言い張ったら、
「後はお姉さん よろしくお願いします。」と今日付けで言われました。
私はなるようにしかならないと、覚悟を決めています。
ただ、脳内に問題を抱えているので、母のケアは難しいとも考えます。
老々介護は悲惨です。自称102歳だという母に、お嫁さんや娘は、
最後の時間をささげ続けなければならないのでしょうか?
介護保険制度は、そんな家族の支えになっているのでしょうか?
hibari
2024.12.05