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カメラ・ダイアリーです。COCOROの向くままカメラの向くまま・・・。


by hibari0929

アメリカのスイートピー マリリン・モンロー



アメリカのスイートピー マリリン・モンロー_c0202113_12401759.jpg


春の花、スイートピーが花屋さんに並ぶ季節になりました。


映画評論家の淀川長治氏(故人)はこう語っている。
「マリリンはアメリカのスイートピー。つまり柔らかくてきれい。
片やエリザベス・テーラーはバラ。きつい。トゲがあるんです。
モンローはか弱い。だからあんな死に方をしてしまった・・・」淀川氏はマリリンを愛した。その健気さと弱さ故に。


マリリンが亡くなったのは、1962年8月。36歳の若さ。
無垢の笑顔 誘惑の唇 孤独の生活。不幸な生い立ちとコンプレックスに生涯悩み続けた。


マリリンの人生は傷ましい。その死は「20世紀の悲劇」と呼ばれた。
スクリーンの華やかさとは別に、愛に飢えた素顔のノーマ・ジーンは
3度の結婚をし皆破れた。
幸せな家庭を、誰よりも望みながら叶えられることは無かった。
初めての結婚は16歳の時。



2度目の結婚の相手は、ヤンキースの大リーガー、ジョー・ディマオ。
新婚旅行には日本を訪れた。
しかし、マリリンは軍の依頼で朝鮮戦争の慰問に行ってしまう。
新婚の夫を日本に残し・・。


零下5度の屋外で、肩も露なスリップドレスを着て笑顔で、兵士に歌をプレゼントした。
ディマジオはひどく傷つく。
マリリンはスターであることを望み、ディマジオはつつましやかな妻を望んだ。そして、9ヶ月後離婚。

アメリカのスイートピー マリリン・モンロー_c0202113_12481780.jpg


その後作家のアーサー・ミラーとも結婚するが破綻。
この頃には、睡眠薬と酒に溺れるようになっていく。
華やかな男性遍歴の陰で、マリリンを支え続けたのは二人目の夫、ディマジオだった。
彼はマリリンと離婚後、再婚することもなく二人の関係は生涯に渡った。
マリリンが亡くなったあと葬儀は、ディマジオが総て取り仕切った。棺の傍にひたすら付き添い、マリリンを苦しめた人間を寄せ付けなかったという。
その後彼は20年余りに渡って、マリリンの墓にバラをを手向け続けることになる。二人の間の絆がどんなものだったのか、
ディマジオの口から語られることはとうとう無かった。

マリリンは囁く。「マーベラスな女優になりたいの。大衆にあいされる女優でいたいの。」

詩人であり友人のノーマン・ロスティンはこう書く。
「暗い出生の秘密を持ちながら、たゆまぬ努力で負い目をのりこえ、
人生を立派に生き抜こうとした一人の女の姿・・・」

もう少し・・。本当はきりがないのだけれど・・・

マリリンは、素晴らしい才能をもった女性だった。
素晴らしい俳優だったし、絵も描いたし、詩も書いた。スピーチも上手だった。
それなのに、「マリリン・モンロー」というイメージに苦しめられた。
頭の弱いグラマー女優、というイメージ。

有名なエピソードがある。3人目の夫、アーサー・ミラーが「赤狩り」で社会から葬られようとした時、マリリンは議会に赴き、夫を擁護するスピーチを行った。的を得たスピーチは夫を救い、相手をも唸らせたのだった。

ゴシップには事欠かないマリリンだったが、何より大衆に愛された。そして、マリリンもそれを誇りとした。イギリスの元皇太子妃ダイアナさんが亡くなった時に、エルトン・ジョンが歌った「candle in the wind」は、もともと彼がマリリン・モンローに捧げた歌である。

最後に、マリリンの詩を。

「わたしはあなたの腕の下に立った
あなたが伸び広がって終にわたしを抱きしめた
風が・・・・池を打ち
砂を打つとき----あなたはわたしを抱きしめた」
・・・「マリリンと友達」から



2018.1.20
Commented at 2018-01-20 14:49
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by BBpinevalley at 2018-01-20 14:53
モンローは本当にかわいそうな人ね。
14回もフォスターファミリーを転々としたと聞きます。
温かい家庭を知らなかったんですね。
古い映画を見て思いますが、本当に綺麗。
天使のよう。
演技も上手く、感の良い賢い女性だったのだと思います。
辛い子供時代が、彼女の精神を蝕んでしまったのですね。
気の毒なことです。
Commented by unjaku at 2018-01-20 15:36
鍵コメさま、初めて聞くお話です!!
そうでしたの。新婚旅行は、確か伊豆方面だったという記憶があるのですが・・・。
ホームラン競争に牡蠣のお話。ありがとうございます。

モンローは、「7年目の浮気」の撮影中に、
あの有名なスカートが翻るシーンを見に来ていたディマジオの激しい怒りを買い、自宅でかなりの暴力を受けたようです。
ディマジオはさらし者のような妻に耐えられなかったのでしょうね。
Commented by unjaku at 2018-01-20 15:48
BBpinevalleyさん、こんにちは。
モンローは可哀そうな人生でした。
幼いころの愛情への飢え、見たことのない父親への恋しさから、常に父親のような男性の存在を求めたといいます。

女優でありながら、自分の演技に自信も持てず、おまけにカメラ恐怖症。
現場に遅れてくる常習の遅刻魔。薬やアルコールの飲みすぎで、ふらふらになりながらやって来て、控室に入ると出てこない。みんな散々待たされて撮影に入って、カメラマンも監督も呆れかえって、失敗だったと思われたフィルムを編集してみれば、そこには役になり切った完全なマリリンがいたそうです。
彼女と共演した男性スターは、困りながらもマリリンの演技には心から絶賛したといいます。

才能がありながら、運命にもてあそばれたとしか言いようのない人生でした。
Commented by strauss-cello at 2018-01-21 22:28
こんばんは。 マリリン・モンロー、最初の写真に写っているのはシェルティみたいですが…? とっても良い写真ですね。 彼女が女優として成功したことがかえってプライベートな幸せを遠ざけてしまったとすると…。 でも最後までディマジオがいてくれてよかったと言えるのかな。もっと生きて欲しかったですね。
Commented by unjaku at 2018-01-22 16:19
マックスママさん こんにちは。
マリリンは犬が好きだったようです。

シェルティでしょうか?コリーでしょうか?
でもマリリンもとてもリラックスして良い表情ですね。
マリリンは女優として成功したいという夢や願望は常にあったようです。
でも、自分をコントロールすることができなかった人なのね。それでいて繊細。
恋人にするには魅力的でも、生活を共にする夫婦となると、極めて困難な女性ではなかったでしょうか?
Commented by kanafr at 2018-01-23 08:21
マリリン・モンローが、アーサー・ミラーと結婚後流産し、体調を崩していた頃の写真を見たことがありますが、なんて孤独な目をする人なんだろうと思いました。
あの有名はモンローウオークは、彼女の発案で左右のヒールの高さを変えて、わざとアンバランスにする事で生まれた歩き方だと読んだことがあります。
モンタンが共演をきっかけにモンローに恋した後、結婚した当初は可愛らしかったシモーヌ・シニョレが、だんだん変化した写真を見た時、人って裏切られたという事で苦しむとこんなに変わるものなんだと驚いた事があります。

今回、unjakuさんの記事で、今迄知らなかったモンローの姿が分かってよかったです。
Commented by unjaku at 2018-01-23 11:42
kanafrさん モンローはコメディエンヌとしては最高の女優だったと思います。
おまけに、お金にはどちらかと言うと無頓着で、暮らしぶりは簡素なものだったようです。20世紀foxとの契約もかなり安い値段だったと記憶しています。

イヴ・モンタンとの情事はあっけなく終わったようですが、シモーヌ・シニョレは、その後太りはじめ変わりましたね。

マリリンは、なんとしても子供が欲しかったようですが、実際彼女に育児ができたかと考えると、ノン!だったと思います。
36歳という年齢は若すぎるとは思いますが、彼女が「老い」を受け入れるのも、また困難なことだったようにも思えてなりません。たぶんその前に、病気になっていたかもしれませんが。
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by unjaku | 2018-01-20 12:54 | 映画と女優 | Comments(8)