人気ブログランキング | 話題のタグを見る

hibariの巣 unjaku.exblog.jp

好きなリンク先を入れてください

カメラ・ダイアリーです。COCOROの向くままカメラの向くまま・・・。


by hibari0929

学校訪問


今日は姉ちゃんの志望校二つ目の学校訪問。
1週間に2回。
2週間で3回、3回目の学校説明会はユイの予定。
正直疲れますねぇ。

特に今日は私の半世紀前に卒業した母校。
いやいや見知らぬ学校になっておりました。

でもこのブロンズ像は変わらず有りました。
学校訪問_c0202113_15581416.jpg
半世紀にわたって空を仰いでいたんだ。
「校舎は古いねぇ。」とマイ。
そりゃそうだ。グランマたちがこの校舎の1期生だもの。
でも大事なのは、この学校で学ぶかもしれない中身だよ。

この校舎に引っ越してきた時に、一年生の4クラスだけ北側の
プレハブ教室だった。私たちのクラスもその中の一つだった。

なんと なんとそのプレハブ教室が残っていた。
もうボロボロだけど、運動部の部室に使われているらしい。

あんなに嫌いだった高校が郷愁と共に蘇る。
校章や校歌まで変わっていない。戸惑う私。なんてことだ!



学校訪問_c0202113_16095607.jpg

こんな銀杏並木はなかったし、
運動場は雨や霜が降りるとぐちゃぐちゃで使い物にならなかった。
その運動場を、みんなで一歩一歩踏みしめて、今の運動場があるのだ。

創立110周年。
この月日を何と呼べばいいのだろう。

ま・・マイさんが行くかどうかは分からないけれど。
なんだか不思議な感じ。



hibari
2020.1018











Commented by funicolare at 2020-10-18 23:18
おはよう。
こんな場合、ぼくなら泣いちゃいそうなんだけどグランマはそんなことないの?
まぁ、そんなヒマもないほど忙しいか。

古い学校に変わってない部分が残っているのはとてもいいこと。
懐かしかったことでしょうね。(^o^)
Commented by unjaku at 2020-10-19 10:02
funicolareさん  おはようございます。
半世紀以上もたって、あの頃の懐かしい出来事が
走馬灯のようによみがえります。
廊下ってこんなに狭かった?
ボロボロのプレハブに、あれからどんな青春が残されてきたのかしら?

赤土の原っぱに、校舎だけが建っていて、そこで、約3年近い月日を過ごしたんだ・・と
思うと、現実と過去がないまぜになって、何とも言えない不思議な感覚に陥ります。

さて、マイさんは二つの学校のどちらを選ぶのでしょう?
Commented by shata3438 at 2020-10-19 17:29
こんにちは。天気が悪すぎですね!
清少納言は心ときめきするものとして
「よき薫物たきて、一人臥したる。頭洗ひ、化粧じて、香ばしうしみたる衣など着たる。ことに見る人なき所にても、心のうちは、なほいとをかし」と書いていますね。ゆったりとした豊な気持ちになるには香りが良いのでしょうね。平安時代はお風呂もなかなか入れない時代でした。髪も長いので一度洗うと後始末が大変だったでしょう。しかも夜は真っ暗です。特に冬は寒いので戸締まりです。真夏も月明かりも蚊遣りもあるでしょうが、蚊の大軍に悩まされたでしょう。暗闇の中で相手のを見分けるのはやはりお互いの香りでしょうね。当然間違いで隣の女性の局に入ってしまう男性もいたでしょうね。
Commented by unjaku at 2020-10-20 15:40
shataさん こんにちは。
久しぶりの青空。気持ちがいいと言えばいいし、
急激な天候の変化に体が付いていかないというのも事実。

清少納言は「人生の中で起きる苦しみや嘆きを書く必要はない。
楽しき事、面白いこと、ときめいたもの、そういったことを書けばよい。」とはっきり言っています。
それに対して紫式部は、手厳しく「あんなに苦しく惨めな環境の中にいて、絵空事を大げさに書くなんて、ろくなことはない。」と言っています。
惨め出来事・環境というのは定子を取り巻く様々な悲運を指しているのですが、清少納言は、「そんなもの胸の内におさめておけばいいのだ。」と切り捨てています。
二人は直接会ったことはないようで、紫式部のほうが彰子に仕えたせいもあって、宮仕えは少納言よりかなり遅れています。
紫式部は清少納言に相当な対抗意識を持っていたようで、
かなり嫉妬深い女性だったようです。


清少納言は定子の男前の気質にも影響されて、
定子にとっては無くてはならない盟友になっていったようです。
枕草子は宮中でもてはやされ、仇敵ともいえる道長のサロンでも
次から次へと写しが作られました。
まさに清少納言が狙った意図はそこにあったようです。

定子も彰子も一条天皇の妃でしたが、
天皇の定子への寵愛は並々ならぬものがあり、
彰子を中宮にしたいという道長の野望に、屈することはできなかったのです。定子の悲運を枕草子にとどめれば、枕草子は、道長に抹殺されます。
定子の美しさ、賢さ、華やかさを書きとどめることによって
定子のもつ一大サロンの文化を後世に残したと言われています。

定子は物語をあまり好まず、会話の中で機知に富んだやり取りを
楽しんだと言われています。いつも笑い声の絶えない定子のサロンは
公達たちにも愛され、実方も行成もその中にいたわけです。

shata さんが言われる香りによるとんでもない行き違い間違いも
当然起きたようです。
平安時代も決して穏やかな時代ではなく、策略と陰謀に明け暮れた
凄まじい権力闘争の中に明け暮れていたようです。

長くなりました。この話になると長くなっちゃうの。お許しを。
名前
URL
削除用パスワード
by unjaku | 2020-10-18 16:20 | twins | Comments(4)