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カメラ・ダイアリーです。COCOROの向くままカメラの向くまま・・・。


by hibari0929

義父(父)の東京オリンピック


昨日の続きです。

さて、義父が中国で捕虜になり「武装解除」させられた後、
自分たちが中国に対して行ってきた非道な出来事を思い出すたびに
どんな報復が待っているのだろう・・・と怯える日々もあったそうですが
当時の指導者「周恩来」の一言で、義父たちは捕虜とは思えぬ扱いを
受けたそうです。「周恩来」は、「悪いのは軍部であり、兵士たちに罪はない。
兵士をおろそかに扱わぬように。」と述べたとか。
義父たちの仕事と言えば、自分たちが破壊した道路などの復興作業で
食事もきちんと与えられ、清潔なベッドも用意されたと聞きました。
「周恩来には感謝しかない。」と義父は後年述べております。
実に、「周恩来」は立派な政治家であり活動家であり、
私も彼を尊敬する一人であります

義父(父)の東京オリンピック_c0202113_10464162.jpg
ここは奥松島。
義父が最晩年、義妹の運転する車に乗って、この風景の見える高台を訪れた。
私の好きな場所の一つ。


さて、数十年ぶりにプールへ戻った父の新たな目標は「マスターズ水泳」。
挫折した夢を取り戻すかのように、生き生きとプールへ通う日々が始まった。

帰省すると、孫たちには必ず新しい水着が用意されていて、
小学生になった孫を二人連れて、近隣のプールへ行ったものです。
家族の誰かに、水泳への道を引き継いでもらいたい・・・という義父の願いもあったのでしょうが、残念ながら誰一人その願いに気付く者はいなかった。


昭和57年(1982年)から平成18年まで義父の挑戦は続き、全国大会で優勝もしたし、記録も塗り替えて82歳まで泳ぎ続けたのであった。

我が息子たちに、お小遣いと共に手紙で激励を送ってくれたこともあった。
「80歳を過ぎても、なお記録に挑戦している。だから君たちも頑張りなさい。」
85歳で旅立った義父の遺した品々を整理していた時
思いがけず出征した時の「遺髪」が出てきた。
「遺髪」は歳を取っていなかった。青春のただなかで夢を諦めた、
いや諦めさせられた若者の情熱と無念がそのまま時を経て、
私たちの目の前にあった。


出来の悪い嫁は、更年期の不調がきっかけでプールに通いだした。
義父没後数年がたっていた。
カナヅチだった私が、クロールから背泳ぎ・平泳ぎまで泳げるようになった。
天上の義父は、さぞかし苦笑いをしているに違いない。


義父(父)の東京オリンピック_c0202113_11183858.jpg
4年前、松島に帰省した時の写真。
ここから奥松島の美しい風景を眺めることが出来る。

夫が言う。「親父はお前が好きだったんだよ。」
義父が、このお転婆娘を見たらなんというだろう。


そして、コロナ禍の中で開催予定の、夏のオリンピックをめぐる
ドタバタを見たら、義父はどれほど悲しんだことだろう。
私は断言できる。「オリンピックは平和の祭典」なんて嘘っぱちだ!!



hibari
2021.2.22




Commented by blue-salvia2 at 2021-02-22 15:45
松島、とても素敵な所ですね。
東北に行った事がありません。
いつか旅行したいねと言いながら
全然行けないのです。

お義父様はマスターズで頑張っていらしたのですね。
なかなか出来る事ではありませんが
お顔に意思の強さを感じます。
Commented by unjaku at 2021-02-22 19:05
松島はただの観光地。お客様の行くところは、これといって
お勧めできるものはありません。
ただ、松島湾のクルーズ?はいつ行っても楽しいです。
本当に私が好きな松島は、あまり観光客も来ませんし
10年前の大津波に呑みこまれ流されてしまったところも多いのです。

サルビアさん、意志の強そうな顔をした男性は夫です。
彼は、若い頃から陸上選手。三段跳びの選手でした。
頑固ですよ~~!ひょっとすると義父の方が優しかったかな?
Commented by blue-salvia2 at 2021-02-22 19:17
ごめんなさい🙇‍♀️

旦那様でしたか〜!?
陸上選手で三段跳びなんですかっ!
凄い〜〜!

叔母が走り幅跳びで国体に出ています。
叔母が60代くらいの頃に、何をしたいかの話しになり
プールの高飛び込みをしたいと言ってました😱
Commented by Diary-17 at 2021-02-22 23:04
とても良いお話をうかがいました。
比べても仕方のない事かもしれませんが、現在のコロナ禍の自粛でストレスを感じる方がが多いです。其れは日本だけでは有りませんが、戦争によって青春時代を奪われた方々の思いとは比べ物になりなせんね。沢山の犠牲が有って今の平和が有るのですね。

周恩来、もうかれこれ20年以上前に有る国に赴任中、ご一緒した年配の中国人御夫妻がいました。御主人様は若い頃、周恩来にとても気に入られて秘書をしていた方で、この方も、奥様もとても素晴らしい人格の方でした。時は神戸の大震災の後だったので私は日本人という事でお見舞いの言葉をいただいたんです。
その時に、神戸に住む中国人街の中国人はレストラン経営者が多く彼らが
食事を被災者達に配ってくれているという記事を読んだ事を伝えましたら
とても喜んで下さった。そんな事を思い出しました。奥様とは麻雀を時々
した思い出があります。

hibariさんのご主人様、スポーティーで素敵です!
Commented by unjaku at 2021-02-23 11:35
サルビアさんの叔母様のチャレンジ精神もすごい!!
幅跳びの選手でもいらしたのね。先輩方皆すごいなぁ!!

プールの高飛び込みは恐いんです。
近くの運動公園にも高飛び込みが出来るプールがあります。
試合が無い時は、一般のスイマーにも開放されていますが
プールの一番深い場所を泳ぐとき、通り過ぎるまで「恐い~~!」
なのです。深さは8メートルくらいあると聞いたような。
私たちが普段使うプールは、
1M20Cくらいに設定されている深さですから。
Commented by unjaku at 2021-02-23 12:33
Diaryさん ありがとうございます。
義父は普段はとても穏やかで
戦争中の苦い思い出や出来事は、
ほとんど口にしませんでした。

義父の余命がもう長くはないと分かった時、
夫が義父に頼み込んで、当時の出来事を
話してもらったのです。
夫はそれを小冊子にまとめ、義父の証言集として遺しました。

「周恩来」は未来を見据えた巨人でした。
夫人の「鄧 穎超」(とうえいちょう)女子もまた
人民から愛された人でした。
あの悪名高い4人組が跋扈していた時に、「周恩来」の養女が
逮捕迫害されました。彼女は女優としても第一線で活躍した人でしたが、同じ女優であった「江青」(毛沢東の妻)から激しい嫉妬を受け
迫害の末虐殺されたのです。

「周恩来」と言えども、養女を助け出すことはできませんでした。
下手に動けば自分が逮捕迫害され、死に至らしめられることが
分かっていたからです。
毛沢東の狙いは、「周恩来」をこの地から抹殺することでした。
その機会を4人組を使って狙っていたのです。

「周恩来」は語っています。
自分の命が惜しいのではない。私がいなくなったらいったい誰が
人民を守ることが出来るのか。

彼は癌の闘病中でさえ、自分の言動に注意を怠りませんでした。
付け入るスキを与えないためです。
そんな周恩来が死を直前にして、どうしても会っておかなければならない人として、病を押して、周囲の反対を押して会った日本人がいます。お互いに深く尊敬しあった人物でした。
長くなるのでここまでにします。ありがとうございました。
Commented by Hana3131H at 2021-02-23 13:37
お義父さんのお話、心に残りました。それがきちんと伝えられていることの尊さに驚きましたが、↑のコメ返で納得しました。話せない、話したくないことを、息子さんの願いで語り終えた時のお義父さんの気持ち、遺髪を見てunjakuさんが思いを馳せる情熱と無念さ、証言集として残されたこと、きっとお義父さんは感謝していると思います。

unjakuさんのパートナーの写真はこれまでも何度か見ていますが、これが一番りりしく"Cool!"です。故郷に帰省しての喜び、twinsと一緒に眺める奥松島の風景がそうさせたのでしょう。アングルも良い、そうか!カメラウーマンのunjakuさんの腕が良いんですね。

もうすぐ三月、また忙しくなりますね。Fight!
Commented by unjaku at 2021-02-23 19:32
Hanaさん ありがとうございます。
義父の思いではたくさんありますが、
よく語ってくれたと思います。
いつまでたっても、義父は息子たちを大切に
愛情をもって接していました。
時には、息子からうるさがれたりもしていましたが。
笑えますが、夫が義父にそっくりで
しばしばツインズからうるさがられています。

夫は凛々しくcoolなのでしょうか?
Coolなのは認めますが、時に野性的で扱いが難しい!
未だに手に余る存在です。

夫が義父の写真を持ち出してきて
明日はまたこの話題を引っ張ることになりそうです。
どうかもう少しのご辛抱をお願いいたします。(笑)
Commented by yoko at 2021-02-24 22:54 x
とても興味深い、歴史のひとコマを垣間見させて頂きました。

ご主人様は三段跳びの選手でらしたのですね。
以前、ドイチェヴェレという放送局でご一緒した田島さんは
1936年のベルリンオリンピックの三段跳びで金メダルをとられた
田島直人さんのご子息でした。
お父様とは面識がありませんが、ご子息の田島さんはご主人様同様、
精悍で厳しい方でした。
Commented by unjaku at 2021-02-25 15:06
yokoさん コメントありがとうございます。

夫も父に似て、やはり立派な身体を持っています。
yokoさんにも、陸上関係のご友人がいらしたのですね。
それも三段跳び!奇遇ですね。
こうやって、種々お話していると、意外なつながりを
発見することが出来て、不思議な思いに浸ります。

戦争さえなければ、今のような疫病さえなければ
若い人たちの夢を奪う事も、危機にさらすこともなかったでしょうに。残念なことです。
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by unjaku | 2021-02-22 11:39 | 泳ぐこと | Comments(10)